252回 『令和となり』

映像屋のカルデックスの金尾です。

今日から『令和』となりましたね。

昨晩は長男も奈良から帰省したので

久しぶりに実家で夕食をとりました。

 

ちょうど「令和」に改元される話を母としていて

私が日本テレビ報道にいた時の、

昭和天皇崩御の時の思い出話になりました。

 

当時私は昭和天皇のご病気対応ということで

月〜金曜日の通常勤務

(ニュース番組のスタジオ業務)の他に

土日は宮内庁庁舎前での中継スタッフを

約半年ほど仰せつかり、週末になると

宮内庁前の日本テレビの中継テントに

詰めておりました。

 

皇居に半年も行くと夏から秋、冬と

季節の移り変わりをみる事ができて、

◯◯門から皇居の中に入ると

東京のど真中に空気が綺麗でこんな緑豊かな場所があるんだな。

門から中継テントの移動の間が

唯一心癒される瞬間でした。

 当時のテレビ業界での歴史の中では

全てが初めての事でした。ですから

『できる事は全てやりましょう!』的な感じでした。

(まぁ30年前の事なので記憶もちょっと

あやふやなところもありますがご容赦くださいませ。)

私のような社外強力スタッフもそうですが

地方の系列テレビ局からもヘルプでフル動員でした。

ポケベル(懐)の時代でしたが社外スタッフは

支給されなかったので、ここでは書きませんが

スタンバイ時の現在位置確認は、

なかなかすごかったです^^

過酷でしたが必死だったのも感じました。

『働きかた改革』の今なら大変な事でしたでしょうね。

 

「高木侍医長が皇居に入られました!」と

なんどもスタンバイしましたね。

そして昭和天皇崩御。

「昭和」は最期を迎えました。

 

当時は特番がなんと48時間もあったんです。

冬にもかかわらずコートは着ないで中継しろ!

という話もあったようですよ。

町のレンタルビデオ屋さんからは

『ビデオがなくなった。』

らしいです。

 

午後から当時の小渕官房長官が「新元号は平成」と会見しました。

スタジオで他の出演者の方と「へ〜せ〜」

ってピンとこないな〜

なんて話をしていました。

私はスタジオでのフロアディレクターを

仰せつかっていたので

48時間は長かったですね。

途中、契約会社からヘルプのスタッフが

来たので近くのホテルで休憩時間

いただきましたが、報道経験のない

ヘルプスタッフだったので

出演者の不安感があり、結局VTRばかりの番組の

時間帯を利用して4時間ほどだけ

シャワーと仮眠だけいただいてスタジオにもどりました。

 

翌月の大喪の礼までバタバタはしていました。

(当時のスタッフ証。写真の再撮です)

 

そうやって私の平成は、はじまりました。

思えばその頃から仕事をしているわけで

いろんな経験とキー局生放送の度胸は

どこかでいかされているんかな(笑)

 

まさか年号がまた変わるとも思っても

みませんでしたけど。

 

数年後私はUターンで富山に戻ってきます。

平成は富山と東京を行ったり来たりで

仕事させていただいてました。

 

子供も中学やら大学やら新しい環境に

なりました。チャレンジしてほしいっすね。

 

令和が皆様にとって良い年になりますように^^

令和も懸命に!前向きに!

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